古代メソポタミアのトイレ事情

インダス文明都市の古代メソポタミアでは、宗教儀式を行うとき「沐浴」で身を清めていました。

祭司たる王や神官は身を清めることによって、神性を保持しうると考えていました。

メソポタミアやインダスの都市には、多くの「沐浴場」が発見されていますが、その「沐浴場」に沐浴後の水を流す排水溝が見つかっています。

これは狭義には排水設備でありますが、便所にも接続されており、やはり下水道と見なすのがよいでしょう。

「沐浴」に使用された水は速やかに川、水路や堀に排水されなければなりませんが、水路などない場合は、排水を管の末端から地中に浸透させていたようです。

古代ギリシアのトイレ事情

ギリシャでは氏族や部族が小集団で比較的狭い地域で都市国家(ポリス)を形成し商工業を発達させました。

ギリシャでは各家庭にも簡単な水流式便器が見られましたが、ギリシャ最大の都市「アテネ」でも、基本的には上水道は建設されても、下水道は存在しなかったようです。

ギリシャでは、道路上にはゴミが捨てられ、道路はしばしば便所代わりに利用されていたようです。

ギリシャがトイレを作らなかった理由としてエジプト、メソポタミアでは少数の権力者が水を掌握し、ほとんどの農民を奴隷として使用し、用排水路を建設しその維持管理を行い「かんがい農業」を行っていました。

一方、ギリシャには奴隷制度が発達せず、奴隷による施設の建設もできず、その上「乾地農業」を行っていたため、水を治めても地域の権力者となる事ができなかったことが考えられます。

それが農業政策の失敗、下水道の未整備、国土の荒廃につながっていったようです。

古代ローマのトイレ事情

古代の下水道としてはっきり記録に残っているのはローマ帝国時代で、B.C615年ローマに下水道が築造されました。

約2000年前から栄えたローマ帝国は、我が国の弥生時代中期から古墳時代にあたりますが、日本では人口集中がようやく始まりだした頃で、邪馬台国が中国の史書に登場するのは、ローマ帝国が衰退に向かった頃です。

その時代には既に上下水道ができていたのです。

ポンペイの遺跡が発掘されましたが、その中には一箇所に便器が1600個もある集団トイレが発見されました。

そのトイレは椅子式としゃがみ式、その横に男性小便器があり、その便器の下を水が流れる「水流式」だったのです。

世界の便器は椅子式としゃがみ式ですが、それぞれの便器の利用地域は、世界地図のヨーロッパとアジアの分かれ目と同じで、トルコのイスタンブール、ボスボラス海峡です。