英国の首都であるロンドンの人口は1800年には80万人1900年では660万人と急増し飲料水の調達が課題でした。

平野にあるロンドンでは山から水を引くことが出来きないためテムズ川の水を蒸気機関で汲み上げて市内に供給しました。

鋳鉄が大量生産され始め水圧に耐えられる水道管により可能になりました。

水道が普及しても水道の水が汚いため好んで井戸水を使う人もいました。

排泄物は下水設備が整っていない頃は、共同便所でしていましたが便所は常に溢れ出し道路に流れて悪臭を放っていたようです。

そのような19世紀のロンドンをコレラが4回蔓延しました。

コレラは恐ろしい病気で、口から腸に入り発症すると激しい下痢を起こします。

水のような下痢で、下痢の量は1日数十リットルにもなり体から大量の水分が失われ患者の半数は脱水症状で死にました。

近代疫学者ジョン・スノーによって、コレラの病原体が糞便から口への経路で、腸まで到達すると発症することや汚水が水道水に入り込むことで感染が広がっていることが突き止められました。

水が病原体を運び、接触や摂取の経路で広がることが解明されました。

彼は市民に対して、手洗い、飲料水の煮沸をすすめました。

そして彼の提言した公衆衛生に有用な方法により1852年に首都水道法が制定され、水道水の取水口はテムズ川の蒸溜に設置されること、水道水をろ過することが決められました。

また、下水道の放流口は下流に移されて、その後のロンドンではコレラの流行は無くなりました。